富山県生活協同組合

平和学習会「落語で聴く 富山大空襲」

開催日
2019/09/23(月) 13:30~15:30
開催場所
富山センター
参加費
無料
講師
越中家漫金丹さん
託児
なし
主催
組合員活動推進G

担当者レポート

富山大空襲の経験があるアマチュアの落語家 越中家漫欽丹さんからお話を聞く平和学習会を開催しました。

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笑いも交えた空襲や戦時中、戦後のお話を聞いた後は、8月に開催されたピースアクションinヒロシマの参加者から学習したことの報告を行いました。

 

漫欽丹さんのお話(概要)

漫欽丹さんは小学校(当時の国民学校)3年生の時に富山大空襲に遭いました。
当時は学校で天皇陛下の写真に敬礼したり、駅前にあったアメリカのルーズベルト大統領やイギリスのチャーチル首相の絵を踏んでくるように教わったりしていましたが、子供心に「そんなことをして戦争に勝てるのだろうか?」と思っていたそうです。
漫欽丹さんの父親は戦争に行っていたので、当時は母親と弟たちだけでくらしていました。空襲があった夜は町が火の海になり、母親に抱えられて神通川のそばへ逃げ、布団をかぶって空襲が終わるまで耐えました。
すぐ隣で焼夷弾の直撃を受けたおばがなくなったことや、空襲のあといたるところに千切れたり内臓が飛び出たりした死体が転がっていたこと、神通川の河原に3000体もの遺体が並べられ、うじがわいて遺体が誰であるかも確認できなかったことをお話しされ、「戦争の映画やドラマはいろいろあるが、どれもきれいすぎる。実際の戦争はあんなものではない」とおっしゃっていました。
また、戦時中は食料がなく、好き嫌いをしている余裕はなかったともおっしゃっていました。「ごはん」といっても白いご飯ではなく、炊きこんだ大根の葉にお米が少し混じっているような食事だったそうです。

漫欽丹さんは、東日本大震災のあと、ボランティアとして漫談の出前をしに何度も東北へ行っています。
それは、富山大空襲に遭った経験があるからだそうです。空襲で焼け野原になった富山と、津波にのまれた東北の風景がよく似ており、また、自分が空襲のあと色々な人に助けられてきた覚えがあるからだとおっしゃっていました。