富山県生活協同組合

2018年度福島復興支援視察交流ツアー(2018年11月)

 東日本大震災の発生からもうすぐ8年が経とうとしています。
 地震・津波とともに起こった原発事故は、今もなお福島の復興に影響を及ぼし、さまざまな問題を生んでいます。
 今回の視察交流ツアーでは、主に※1浜通りの津波被災地域や避難指示区域の現状を見学し、JAふくしま未来の方や原発事故によって※2中通りへの避難を余儀なくされた語り部の方からお話を聞きました。

※1…相馬市,南相馬市,いわき市と相馬郡,双葉郡からなる海沿いの地域 
※2…福島市、郡山市、白河市などの阿武隈高地と会津地方にはさまれた地域

福島復興支援視察交流ツアー 概要

日程11月23日(金)~24日(土)
主催富山県生活協同組合、生活協同組合CO・OPとやま
企画協力富山県生活協同組合連合会、生活協同組合コープふくしま
参加者43名(うち 富山県生協からは21名)

 

視察ルート

11月23日(金)富岡町夜ノ森、子安橋周辺 ~ 大熊町、双葉町、浪江町(請戸・浪江駅周辺) ~ 飯舘村(いいたて村の道の駅 「までい館」 ~ 川俣町
11月24日(土)JA直売所「吾妻の駅 ここら」 ~ 報告・学習会 ~ コープマート方木田見学・お買いもの

 

1日目(11月23日)

ガイガーカウンター_福島視察2018

 生活協同組合コープふくしまの宍戸常務理事、日野理事と合流し、ガイガーカウンター(放射能測定器)を持って津波と原発事故の被害が残る浜通りの視察に向かいました。

 

 楢葉町に入ると、開けた場所に除染廃棄物の仮置き場が何か所もあります。

 2016年12月のツアー時には、除染廃棄物を詰めた袋が敷き詰められ、雨などで袋が傷まないよう緑色のシートをかけてあったのですが、今回のツアーでは、そうした仮置き場から除染廃棄物が片づけられ、一見きれいになっている様子が見受けられました。

2016年12月 楢葉町の除染廃棄物仮置き場

2016年12月 楢葉町の除染廃棄物仮置き場

今回のツアー時/除染廃棄物が運び出されていた

今回のツアー時/除染廃棄物が運び出されていた

 しかし、これは除染廃棄物の最終処理が行われたわけではなく、中間貯蔵施設へ移動しただけです。放射性物質に汚染された廃棄物や土壌の処理は、原発事故から7年以上が経った今でも大きな課題として残っています。

 

 富岡町

 最初に訪れた富岡町は、町の大部分が避難指示解除となっていますが、戻った住民は約5%……周りに二十軒の家があったとしても、住んでいるのは自分だけという状況です。
 閑散とした街の中を進み、富岡町が誇る「夜ノ森の桜並木」の周辺を車中から見学しました。トンネルのように枝を広げた桜並木は2km以上にわたって続きますが、今でもそのほとんどが帰還困難区域に指定されており、入ることができません。

 

 

富岡町夜ノ森の桜並木_福島視察2018
富岡町夜ノ森_福島視察2018 信号の向こうにはゲートが設置されており、ゲートの向こうと、ゲートに向かって右側にあるガードレールの向こう側が帰還困難区域、左側は避難指示を解除された区域です。
 避難指示が解除された区域に住宅がある人は、避難のための補償が打ち切られる一方、帰還困難区域に住宅がある人にはまだ補償が続いたり、帰還する、しないによって家族や地域で意見が分かれたりと、原発事故は目に見える分断と同時に目に見えない分断も生んでいます。

 

 街中を抜け海辺に出て「子安橋」の周辺でバスを降りました。ここでは、富岡駅や東京電力福島第二原発が見える場所で宍戸常務から震災当時のお話や原発についてのお話を聞きました。
 富岡町の海岸線は、津波に襲われ、富岡駅をはじめとする海辺の建物は大きな被害を受けましたが、昨年、町の一部を除く避難指示解除にともなって新しい駅ができるなど、インフラの整備が少しずつ進んでいる一面もあります。

富岡町 子安橋の近くから(右手奥にある大きな煙突は東京電力福島第二原発)

富岡町 子安橋の近くから(右手奥にある大きな煙突は東京電力福島第二原発)

コープふくしまの宍戸常務が現地を指さしながら説明してくださいました

コープふくしまの宍戸常務が現地を指さしながら説明してくださいました

 

富岡町から浪江町へ~国道6号線~

国道6号線沿いには、有人ゲートがあり許可がなくては入れない道も多くあります。
国道6号線沿いの有人ゲート

国道6号線沿いの有人ゲート

大熊町を通過する際、東京電力福島第一原発の煙突と、廃炉作業にあたる巨大クレーンが見えました。

第一原発_福島視察2018

 

浪江町~請戸、浪江駅~

津波で1階が壊れた小学校

津波で1階が壊れた小学校

 次に向かった浪江町では、津波被害が大きかった請戸地区と昨年営業を再開した浪江駅を見学しました。
 請戸地区でも除染廃棄物の運び出しが進められていましたが、津波で1階が破壊された小学校の建物が残っているなど、先に見てきた富岡町に比べて復興作業が遅れていると感じました。

 請戸地区も避難指示が解除された地域です。しかし、壊れた大きな小学校の建物と除染廃棄物の仮置き場があるほかは、ほとんど更地のまま。直線距離で約6kmのところには東京電力福島第一原発があり、煙突が見えます。

 近くにある原発の事故もいまだ収束していないなか、避難指示が解除されても、戻っていいのか、戻って生活できるのかという被災者の方々の不安を肌で感じました。

(左)駅前に設置されたモニタリングポスト(大気中の放射線量を継続的に測定する装置)

(左)駅前に設置されたモニタリングポスト(大気中の放射線量を継続的に測定する装置)

 営業を再開している浪江駅ですが、そこに至るまでの街並みも閑散としていました。駅の周辺には倒壊の危険がある建物も残り、順次解体しているところです。
 また、浪江駅から出発する電車は仙台方面に向けてのみ運行しています。浪江駅から富岡駅の間にある3駅は帰還困難区域に含まれるため、その間の路線は復旧していません。
 一方、この日はちょうど駅前に新しいカフェがオープンしていました。今度、駅前の空き店舗には食料品の宅配を行う業者の拠点も入るそうです。

 

 

2日目(11月24日)

 まずは「買って支える取組み」として、JA直売所「吾妻の駅 ここら」で福島の農産品やその加工品の買いものを楽しみました。

 地元でとれた野菜・果物はどれも大きくて立派!

 

 

 

 

 

 

 

 お買い物を楽しんだあとは、昼食・学習会の会場へ移動し、福島の現状について学習会を行いました。

おいしそうな野菜をじっくり吟味

おいしそうな野菜をじっくり吟味

 

 最初にお話を聞かせてくださったのは、JAふくしま未来の企画部部長 加藤さんです。
 JAでは、震災後に福島大学や全国から集まった生協のボランティアと連携して、土壌汚染マップ作りを行い、放射性物質による農地の汚染を正確に把握することに努めました。また、果樹を丸ごと除染し、農作物が放射性物質を吸収しないよう対策も行い、出荷するまでの検査体制を整えました。

 その結果、現在では福島県産の農産品から検出される放射性物質はほぼゼロになっています。

 ところが、福島県産の米、果物、畜産などの価格は、原発事故後に急落して以来、全国平均を下回ったままです。

学習会_福島視察2018 これは、除染をはじめとする対策や検査が行われていても、市場が原発事故前のように福島の農産物を取り扱わないことが原因だそうです。消費者の間にも、放射性物質を理由に福島県産品の購入をためらう傾向が残っており、風評被害が続いています。
 消費者である私たちも、福島で行われている検査や対策、新しい商品づくりの取組みについて知ることが大切だと感じました。

 

 また、今年3月に開催した「福島の今を知る報告・学習会」にもお越しいただいた浪江まち物語つたえ隊の松田さんもお招きし、震災当時に救助活動を行った消防団の紙芝居を披露していただきました。

 震災当時、津波に襲われた浪江町の請戸地区では、行方が分からなくなっている人の捜索を原発事故によって断念せざるを得なくなりました。
 助けられたかもしれない人々を助けに行けなかった無念や後悔は、今でも救助活動を行った方々の心に残っているそうです。
 紙芝居の中にあった「原発さえなければ……」という言葉が胸に刺さりました。

 

視察を終えて

 2日間の視察を通して、富山にいては分からないさまざまな福島の事情を知ることができました。

 浜通りでは避難指示の解除が進んでいるものの、そのことが住民の方々の帰還につながっていないこと、
 除染廃棄物が片づけられているように見えるけれど、依然として最終処分にはたどり着けていないこと、

 風評被害に対して様々な努力がされていること、
 震災・津波・原発事故が、被災した方の心に傷を残していることなど……

 富山県生協では、今後も福島との交流を続け福島の現状を学びながら、復興に向けて支援を続けていきます。

参加者_福島視察2018

 

 

コープふくしまの日野理事からいただいたフォトブック

コープふくしまの日野理事からいただいたフォトブック

 23日(金)の夜に行われた夕食交流会では、コープふくしまの日野理事から、これまでの復興支援ツアーの写真をまとめたフォトブックと、以前お土産としてお贈りした勾玉づくりキットで遊んだお子さんたちからのメッセージをいただきました。

 これまでの視察・交流の思い出が詰まったすてきなプレゼントをありがとうございました。

 

参加者の感想(一部)

放射能は低減されている、復興はどんどん進んでいる、避難指示の解除も進んでいる。
しかし、震災から7年、避難先での生活が確立され、福島にもどる者、もどらない者、もどる者が少なく元のコミュニティーが成り立たない。
ニュースで知るのと現地で見て話を聞くのとは違う。
当たり前の生活が貴い重いものであると感じた。
津波で流された地域は家も建物もなにもなく、すでに整地され遠くまで見渡す限りの台地が広がっていました。ここににぎやかな街があったのかと思うと辛かったです。
原発事故の帰還困難区域では各民家の入り口に頑丈なフェンスが建てられ、自分の家であっても絶対に入れないようにしてありました。居住制限区域ではフェンスはないものの人の気配はほとんどなく、野生動物に侵入されていると聞き、終始心が苦しかったです。
帰還困難区域の家の前のバリケード、津波のあとの小学校、なにもない草原、駅は新しいけど周りはまだ生活感がない。復興とは何をもって復興というのか考えさせられました。
コープふくしまの方が生の被災者の声をたくさん聞かせてくれました。車中からの見学は本当にその場その場での今の状態を教えていただき、時には涙が止まりませんでした。
でも前向きに頑張っている話を聞くことができ、心が熱くなりました。