富山県生活協同組合

2017ピースアクションinヒロシマ

2017ピースアクションinヒロシマ
ヒロシマの心を次世代のあなたへ ~あなたは何を継承しますか~

日本生活協同組合連合会   
広島生活協同組合連合会 主催

2017年8月4日(金)~6日(日)、広島県広島市内で「2017ピースアクションinヒロシマ」が開催されました。富山県生協からは各ブロックの代表組合員3名を派遣し、ピースアクションのプログラムと広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参加しました。

開催目的

  • 72年前のきのこ雲のしたでの出来事や高齢化が進む被爆者の想いを学ぶ場として取り組みます。
  • ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名(通称:ヒバクシャ国際署名)など、核兵器廃絶に向けて取り組みます。
  • 2020年開催予定の次期NTP再検討会議への気運作りに向けて、世論を喚起し、次世代に向けた核兵器廃絶の継承活動を広げる取り組みをします。

 

日程内容
8/4(金)

①原爆ドーム周辺・平和記念公園を散策
②被曝の証言「入市被爆の新聞記者が伝えたかった被爆の実相」

8/5(土)

①原爆の子の像に折鶴を届ける
②国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 見学
③平和記念資料館 見学
④ヒロシマ虹のひろば

8/6(日)

①平和祈念式典
②袋町小学校平和資料館 見学
③碑めぐり「平和記念公園内60分コース」

 参加者の感想へ

 

8/4(金)

被爆の証言

 初日に参加した分科会「被爆の証言」で被爆体験を語ってくださったのは、元中国新聞記者で、当時は県立広島第二中学校の2年生だった浅野温生(あさの よしお)さんです。

 浅野さんは原爆投下の前日、現在の平和記念公園の付近で※1建物疎開に従事していました。
 8月6日も同じ場所で作業をするはずでしたが、予定が変わり、浅野さん達の学年は広島市内の別の場所にあった東練兵場の草取りをすることになりました。そして、代わりに建物疎開に従事した1学年下の後輩たちが原爆の犠牲となったのです。
 浅野さんはそのことを「偶然としか言いようのない勤労作業の割り振りが生死を分け、生き残ったものにとって、あまりに重い心の枷」とおっしゃっています。
※1…空襲を受けた際、街が全焼しないようにあらかじめ建物を壊して防火帯をつくる作業

証言者・浅野温生さん。子どもの頃の被爆体験と、新聞記者として原爆被害の実相を伝え続けた経験をもとにお話しして下さいました。

証言者・浅野温生さん。子どもの頃の被爆体験と、新聞記者として原爆被害の実相を伝え続けた経験をもとにお話しして下さいました。

 

 また、新聞記者となられてからは被爆の実相を取材し伝えてこられました。
 被爆者であることや原爆孤児であることが結婚や就職で不利になることもあったため、取材を断られたり、被爆の実相を伝える記事の連載をやめるよう被爆者の家族からの投書を受け取ったこともあるそうです。
 原爆の被害についてたくさんの記事を書いてこられましたが、あるとき外国人の女性が「(爆心地の近くが)公園でよかったですね」と言っていた話を聞きました。現在平和記念公園がある場所は、原爆が落とされる前は映画館や商店が軒を連ねる繁華街で、多くの犠牲者が出た場所です。
 まだまだ語るべきことがある。そう思って、浅野さんは2年ほど前から証言活動をはじめられたそうです。

原爆ドーム周辺では地元の高校生たちが核兵器廃絶の署名活動を行っていました。(署名に協力する参加者)

原爆ドーム周辺では地元の高校生たちが核兵器廃絶の署名活動を行っていました。(署名に協力する参加者)

 

8/5(土)

 今年は組合員さんから約39,000羽の折り鶴が集まり、組合員・職員合わせてのべ72人の手によってつづられました。ご協力くださったみなさま、ありがとうございます。

 2日目の午前は、その「平和の折り鶴」を「原爆の子の像」に奉納し、平和記念公園内にある碑や資料館を自分たちでめぐりました。
 地元ボランティアの方が原爆ドームの前で資料を広げながら原爆ドームや広島の街について解説してくださるのを聞いたり、資料館の中で開催されていた原爆体験詩の朗読会、高校生が行う原爆の威力の説明発表会に参加したりしました。

 被爆者の次の世代や子ども達が、原爆の被害について伝え核兵器の廃絶を訴えている姿が印象に残りました。

組合員のみなさんから寄せられた平和の折り鶴を「原爆の子の像」に奉納しました。原爆の日を前に、すでにたくさんの折り鶴が奉納されていました。

組合員のみなさんから寄せられた平和の折り鶴を「原爆の子の像」に奉納しました。原爆の日を前に、すでにたくさんの折り鶴が奉納されていました。

原爆ドーム前で地元ボランティアの方から原爆の被害についての解説を受けました。

原爆ドーム前で地元ボランティアの方から原爆の被害についての解説を受けました。

原爆が投下され、広島が壊滅する様子の再現映像資料

原爆が投下され、広島が壊滅する様子の再現映像資料

原爆で亡くなった人々の名簿を入れる石棺とその石棺を守る屋根。 向こう側には原爆ドームと、核兵器が無くなるまで灯し続ける「平和の灯」が一直線に見えます。

原爆で亡くなった人々の名簿を入れる石棺とその石棺を守る屋根。向こう側には原爆ドームと、核兵器が無くなるまで灯し続ける「平和の灯」が一直線に見えます。

 

 午後からは「ピースアクション 虹のひろば」が開催され、全国から69生協、約1,400人が参加しました。

 松井一實広島市長からご挨拶をいただいたあと、広島市立沼田高校演劇部による演劇「風の電車」が上演され、原爆で広島の街や家族を失いながらも復興への道を歩み始める人々の物語を観賞しました。
 ステージでの演目終了後には、会場内にある県内の高校生の取り組みや全国の生協が行っている平和活動について紹介するブースを回り、交流を行いました。

 高校生が自ら被爆者に聞き取りを行い制作した「原爆の絵」。多くの人が足を止め作品に見入っていました。

高校生が自ら被爆者に聞き取りを行い制作した「原爆の絵」。多くの人が足を止め作品に見入っていました。

 「平和の折り鶴」解体作業体験(折り鶴は糸からはずしリサイクルされて、ノートやカレンダーなどになっています。)

「平和の折り鶴」解体作業体験(折り鶴は糸からはずしリサイクルされて、ノートやカレンダーなどになっています。)

フィナーレでは、同日の午前に開催された「2017子ども平和会議」で話し合われたことをまとめ、子ども達が平和を求めるアピール文を発表しました。

フィナーレでは、同日の午前に開催された「2017子ども平和会議」で話し合われたことをまとめ、子ども達が平和を求めるアピール文を発表しました。

折り鶴をリサイクルして作られた折り紙、ノート、ボールペン

折り鶴をリサイクルして作られた折り紙、ノート、ボールペン

 

8/6(日)

 

 8月6日は、平和記念公園で行われた広島原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式に参列したあと、最後の分科会「碑めぐり」に参加しました。

 ガイドを務めてくれたのは生協ひろしまの組合員さんです。

ガイドを務めてくれたのは生協ひろしまの組合員さんです。

 ガイドを務めてくれたのは生協ひろしまの組合員さんです。
 平和記念公園の中にあるモニュメントや遺構をめぐりながら、現代の核兵器についての情勢や原爆が投下される以前の広島の姿の話なども交えて分かりやすく解説してくれました。

  水を取り入れたモニュメントが多いのは、原爆の熱と光に身体を焼かれ水を求めながら亡くなった犠牲者のためであることや、「原爆の子の像」のモデルとなった佐々木禎子さんが折り鶴にこめていた本当の願い事、異国の地で命を落とした外国の方々のことなど……様々なエピソードと平和への強い願いがこめられ、平和記念公園がつくられたことが分かりました。

 

参加者の感想

 富山ブロック 朝倉かなえ

 私は、この夏8月4日~6日の3日間、広島で開催された『ピースアクションinヒロシマ』に参加し、平和学習をしてきました、平和記念公園内にある、原爆ドームをはじめ平和記念資料館の見学。公園内のあちらこちらにある、碑めぐり。全国の生活協同組合による、『2017ヒロシマ 虹のひろば』の式典に参加。そして、最終日には広島原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式典に参加してきました。
 私は、被爆の証言 新聞記者であった浅野温生さんの話を聞いての感想を紹介します。浅野さんは72年前の当時の事を鮮明に語ってくれました。実際に戦争体験をしていない私は、体験談を聞いていくうちに様々な思いが涌いてきました。被爆体験をされた多くの方は『あの日』の事を思い出したくなく、沈黙されるそうです。その中でも浅野さんは、生き残った者の務めと思い、『語り部』を続けられ、すばらしいと思います。今を生きる私は、改めて平和な日々を送っていると思いました。『平和であることの大切さ、有難さ』を維持できる世の中であることを願い続けたいと思います。
 原爆の悲惨さをこのまま風化させないよう、後世に伝えていきたいと思います。私たちの今ある生活の平和、日本の平和、世界平和を願い、私にできることを日々の生活の中で、できることからはじめていきたいです。

 

 

東部ブロック 佐藤潤子

 今回のピースアクションinヒロシマに参加させて頂きありがとうございました。三日間、資料館の見学や平和祈念式典への参加、碑めぐりなどいろいろな体験が出来ました。
 二日目には「虹のひろば」を訪れましたが、こちらでは広島県はもちろんのこと全国の生協さんが平和な世界の為にどんな活動をされているのかを分かりやすく展示しておられ、一つ一つのブースを見学させていただきながら、自分に出来ることは何だろうと真剣に考えさせられました。
 ステージでは広島の高校生による演劇や広島の生協の組合員による合唱もありました。どちらも本当に心に響くすばらしいものでした。
 又、各ブースでは、いろんな体験が出来るコーナーもあり、ビーズを使った作品づくりや折り紙を使ってメッセージを書いたものなどもあり、小さな子供さんもたくさんおられて喜んで作品作りをされていました。各ブースの組合員さんが本当に一生懸命頑張っておられる姿が心に残りました。

 今回ピースアクションに参加させて頂けたことは、自分にとって本当に良かったと思いました。これまで広島を訪れたことが一度もなかったのですが、資料館の見学や平和記念式典に参加出来たこと、組合員の皆様が一生懸命折ってくださった折り鶴を届けることができたこと、いろいろなことを通して改めて核兵器のない平和な世界になる為に自分に何が出来るのだろうかと考える機会を与えて頂けたと思います。本当にありがとうございました。

 

 

西部ブロック 山嵜美津枝

 今回この度に参加させていただき、私の夢が一つ叶いました。
 中学の時の修学旅行で、私たちの学年だけ広島へ行く事が出来なかったのです。歴史の勉強では学びました多、実際に現地へ行き自分の目で見てみたいという思いをずっと抱いていました。そして、その機会が「今で良かった」と心から思いました。学生ではなく歳を重ねた今だからこそ感じることができた『平和』への思い。それを伝え続けていく必要があることも…。
 8月6日(日)、暗いうちから平和公園へ向かう人々。そこには日本人だけでなく、多くの外国人の方々の姿も見られました。式典に参加された国も80か国強とのこと。世界の人達にとっても、特別な日であるのだと実感しました。
 広島についてから被爆された方々のお話を聴いたこともあり、72年前の今日も同じように晴天で暑い日であったのだろうとそうぞうして平和記念公園に立っていました。
 限られた時間内での「碑めぐり」では、各々の建立までの経緯であったり、その碑への強い思いなどを説明していただくことができ、学びとなりました。
 式典会場である「広島平和都市記念碑」では、丹下健三さんの設計者としての思いを知ることができ、携わるにあたり、広島の人々の思い、日本人としての思い、世界へ向けての思い、そして未来の人々へ伝える思い等、様々な葛藤もあっただろうと…。そのお陰様で、皆が感動する素敵な物になったのだと思いました。
 私たちも持参し奉納させていただいた折り鶴のきっかけとなった「原爆の子の像」では、原爆の犠牲となった子ども達への思いが募り、子ども達を守る立場である大人たちの愚かな行動等に、悔しさや歯がゆさがこみ上げてきました。
 「韓国人原爆犠牲者慰霊碑」では、台座となっている亀を象ったみかげ石が、故郷である朝鮮半島の方向を向いていると知り、異国の地で命を落とすことになった方々の無念の思いを痛感しました。また、慰霊祭を6日ではなく5日に行われていると聞き、日本人として申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。
 最後に、対岸から見た「原爆ドーム」は、青空の下、緑に囲まれ「きれい」でした。核兵器の惨禍を伝える建築物として世界文化遺産に登録され、恒久平和を求める誓いのシンボルです。戦争を知らない時代で育ったためか観光気分があったのか…悲惨さよりも美しい景色として見てしまった自分が情けなく、一生懸命に平和を訴えておられる広島の方々に対して申し訳ない気持ちが後から湧いてきました。

 富山に帰ってきて通常の生活に戻っても、9日の長崎の日、15日の終戦記念日に対する想いはいつもの年と違いました。戦争にまつわるテレビ番組の放送も多く目に入りました。
 今年の7月7日。国連本部で採択された『核兵器禁止条約』。「核兵器使用の被害者ヒバクシャおよび核兵器実験により影響を受けた者にもたらされる許容しがたい苦しみと害に留意する――」と前文で示されました。原爆が落とされてから72年。やっと、本当にやっと初めてヒバクシャの苦しみや平和への努力にスポットライトがあてられた瞬間。残念なことに日本はその瞬間空席のままであったが、一生懸命訴え続けてこられた方々の長い長い道のりが122か国の方々に認めてもらえ、報われたと思いました。しかし、「平和の灯」の日が消えるまで訴え続けなくてはいけません。
 地球のことを考え、人間がすみやすい環境をつくる。自分たちが普通に暮らせる世の中とは、核兵器を持たないと作れないのでしょうか?争いをしないと手に入らないものなのでしょうか?
 自分に何が出来るかは分かりませんが、今回の貴重な体験で感じたことをすこしでも発信することで誰かが関心を持ってくれればありがたいです。
 多くの方々に「平和な未来への夢を託していきたい」と思います。
 ありがとうございました。